幼子イエスの眼差しのうちに
フランシスコ・サビエル 外川 直見神父
防府教会で2度目のクリスマスと新年を迎えました。昨年は一年を通して防府教会の活動に参加することが出来ました。教会はキリストを中心とした共同体です。キリストに目を向けること、キリストを中心とした互いの支え合いが大切になります。キリストの眼差しに包まれて、聖年である今年を歩み続けましょう。
ずいぶん前になりますが、ある高校生の次のような文章を読んだことがあります。「僕が電車に乗った時のことです。電車はとても混んでいました。その混雑の中で赤ちゃんを抱いた女の人が乗っていました。その人は赤ちゃんが苦しまないように、泣かないように、とても気を配っているようでした。当の赤ちゃんは周りをきょろきょろと見廻していました。赤ちゃんの眼がとてもきれいだったのです。可愛いというより清らかな眼だったのに心打たれたのです。このような清らかな眼がいつか僕の眼のように濁ってしまうことがあるのでしょうか。その眼が将来社会に触れて僕たちと同じように濁りに負けてしまうのでしょうか。清らかな眼をいつまでも保ってほしいと心の中で祈りました。」私たちもこの赤ちゃんのようにきれいな眼をいだいて生を受けたのでしょう。その眼は今どうでしょうか。
新年を迎えてお互いにおめでとうと挨拶を交わします。おめでとうは「愛ず・愛する」からきます。新年が愛でたい一年になるように祈ります。昨年は苦労の多い年だったけれど、新たに始まるこの一年が愛と喜びに満ちた人生になるようにと祈ります。上の文章の赤ちゃんも誕生のときに多くの人たちから「おめでとう」の喜びの言葉を注がれたでしょう。幸せな人生が待っているようにと。
2025年前に誕生されたイエスの眼も、飼い葉桶の中で聖母マリアと聖ヨセフの眼差しのもとで、清らかに澄んだ眼差しだったでしょう。その眼差しは何を見ていたでしょうか。その眼差しは聖マリアと聖ヨゼフ、また訪れた羊飼いたちと博士たちを見ていたでしょう。しかし誕生されたイエスの内的な眼差しは彼らを超えて世界中の人々に向けられていました。人々を取りまく善意と悪意、我欲の世界です。幼いイエスは、すべての人たちの人生を御父から本当の意味で「おめでとう」といわれる人生になるようにと願っておられました。イエスの眼は、人々に「おめでとう」を注ぐことを心に秘める眼差しでした。新年おめでとうの言葉も誕生おめでとうの言葉も、イエス・キリストのご誕生から始まり「すべての人たちの人生を真に愛すべき人生にしよう」とされたご生涯に土台を置いているのです。ご降誕のイエスの眼差しを改めて黙想しましょう。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼記 (その2)
マリア 川岡淳子
今回の巡礼の目標は自分の限界に挑戦し、自然の中で心に浮かんだことを黙想すること、そして100km以上歩けばもらえる「巡礼完遂証明書」を取得すること。手荷物はバックパック一つのみ。出来るだけ軽量にするため、中身は着替え一組、寝袋、レインウエア、防寒具などで総量は約6kg。最初は重く感じていた荷物も日が経つごとに体の一部のように馴染んで苦でなくなる。
1時間3~4kmのペースで毎日15、16km歩いた(約3万歩)。途中道端やカフェで休憩を取る。目の前を巡礼者が通り過ぎて行く。独りで歩く人、夫婦や親子、友達同士など、国も年齢もさまざま。道中巡礼者同士は出会った時に「ブエン、カミーノ(良い巡礼を)」と声かけあう。地元の人には「オラ(こんにちは)」と挨拶。「ブエン、カミーノ」と声かけられたら「オブリガータ(ありがとう)」と返す。知らない人同志でも皆声かけあう。笑顔で言葉を交わす喜び、嬉しさ。ここにも隣人がいる。
9月25日、歩き始めて14日目。ついにゴールの日。ところが大雨強風の悪天候。気温18℃。少し肌寒い。レインウエアで全身を包み、視界も悪い中で歩き続ける。顔にも雨が当たるのでずっと下向き加減。
サンティアゴに近づくにつれ小雨になり白い靄の中、高い建物の合間から大聖堂の尖塔が見えた。観光客も増えてきて賑やかな店が並ぶ通りをいくつか曲がっていくと突然大聖堂が現れた。やったー!ついにゴール!共に歩いた主人と従妹と喜び合う。一緒に歩いてくれてありがとう!壮観な大聖堂に感動しつつ嬉しくて何度も聖ヤコブ像を見上げる。夢見たサンティアゴに本当に来られた。感謝、感謝、神様本当にありがとう。
土曜日のミサに与った。聖堂いっぱいの人。ミサが始まる前には地下に安置してある聖ヤコブとその弟子たちの聖遺物を感慨深く拝んだ。さらに最も有名なシンボルであるボタフメイロ(世界最大の降り香炉。重さは約50kg)の儀式に立ち会えた。荘厳なパイプオルガンを伴奏にして侍者の美しい歌声が絢爛な聖堂に響き渡る中、大きなボタフメイロが7名の侍者によってロープで引き上げられ聖堂内を振り子のようにブワンブワンと大きく揺らして香の煙が振りまかれる。その昔、長く歩いてきた巡礼者たちの体臭の臭い消しとして始められたそうだ。今は特別の日に限られる儀式なので思いがけず見ることができ感激で胸が熱くなった。
その他に行った場所。一つは“フランス人の道“沿いにある歓喜の丘。そこに立つ2人の巡礼者像(その手は遠くサンティアゴを指さしている)からは遠く大聖堂の尖塔を見下ろすことができた。長く歩いてきた巡礼者たちは大聖堂を見つけ新たに勇気をもらったのだろうか。
また、翌日はサンティアゴよりさらに90km先の “地の果て”と呼ばれる大西洋を臨む断崖のフィステーラ岬へ。ここには巡礼の終着点とする0.00kmと刻まれた石碑の道標がある。大海の青と大空の青。水平線がどこまでも続く。地球が丸いことを感じる。ただただ美しい。神の創造物って素晴らしい。
他に聖ヤコブの遺骸を乗せた舟を結わえたとされる石の柱が残っている教会や、壁面全体が青のタイルで覆われている美しい教会、また石造りの聖堂で神父様が歌う声が響いて素敵だったミサや、昔は巡礼者を癒す病院で今は国営ホテルとなっているパラドールに泊まり、当時の人々を思い浮かべて中世の世界を体感したりして十分に巡礼を満喫した。
今回の巡礼では約160kmを歩いた。途中体調のトラブルもなく歩けたことに感謝。そして沢山の人との出会い、喜びや困難もあり、また従妹たちと話した祖先の思い出、そこから今に繋がる自分の信仰の出発点を見返すこともできた。自分自身の足で巡礼路を歩く旅、先人達の跡を追いながら自分を見つめ直す旅となった。次の新たな目的地まで、どんな巡礼が待っているのか楽しみでもある。
弱さの中にある希望 越智神父様 黙想会より
岡本芙美子
12月22日待降節第4主日のミサ後、越智神父様の黙想会に参加させて頂きました。その場にいた方全員がビリビリと、全力で神様メッセージを届けてくださる神父様から豊かなお恵みを頂くことができました。講話の中で神父様は繰り返し、「小さきことの尊さ」を教えて下さいました。歳を重ねるにつれ、出来なくなることが増え、そんな小さな自分を喜べなくなってしまいがちな私たちですが、救い主イエス様も、お一人では何も出来ない赤ちゃんの姿でお生まれになったことを思い起こし、「小さくなる」という神様のメッセージに耳を傾け、黙想しました。続くテーマでは、忙しない社会の中で、私たちはロボット化していないだろうか、と神父様が問いかけられました。仕事の中では機械の力を借りることは多いですが、自分がまさかロボットだなんて、と思ったのも束の間、確かに、自分自身にも、相手に対しても正確さを気付かぬうちに求めていたり、思った通りに物事が進まないと負の感情を抱きがちな自分に気づき、ハッとしました。自分の小ささ、できないことを素直に受け止める寛容な心が必要だと強く感じました。そしてお話は、自らの小ささや弱さを認め、受け入れた先にある恵みについて。神父様ご自身の海外での教師のご経験も交え、弱さに向き合うということ、自分の弱さ、できなさが他の人の良さを引き出し、助けとなることを教えて頂きました。そして反対も然り、相手の持っている弱さでしか、自分自身の良さを開くことはできません。人との関わりが希薄になりつつある現代、相手に対して迷惑にならないだろうか、と感じる前に「ありがとう」と感謝の気持ちで向き合える関係性を増やしていきたいと感じました。最後に、弱さを大切にする、ということは、即ち「神様の愛を受け取る」ということ。私は未受洗で、今も信仰の道半ば、勉強会の中で、時に聖書に書かれていることが私に実践できるのだろうか、と悩むことがあります。しかし、「出来ないからこそ神様がいらっしゃるのだよ」と外川神父様も教えて下さいました。自分自身の弱さを認め、その全てを包み込んで下さる神様の愛を受け取り、祈りの中で「お言葉の通りになりますように」と心から願えるよう、一層祈りを深めたいと思います。自分自身の小ささ、弱さを他者との関係の中で生かし、私たちの中から、支え合い、互いに感謝し合うことのできる、愛ある共同体を築いていけますように。越智神父から頂いた神様からのメッセージを私たちも全力で、ビリビリと、伝えていきましょう。
行事予定
1/ 1(月) 神の母聖マリア ミサ9:30
1/ 5(日) 主の公現 ミサ9:30
1/12(日) 主の洗礼 ミサ9:30
教会学校始まり
1/19(日) 年間第2主日 ミサ9:30
1/25(土) 1月命日の方のミサ9:30
聖年のための祈り
天の父よ、
あなたは、わたしたちの兄弟、
御子イエスにおいて信仰を与え
聖霊によってわたしたちの心に愛の炎を
燃え上がらせてくださいました。
この信仰と愛によって、
神の国の訪れを待ち望む、
祝福に満ちた希望が、
わたしたちのうちに呼び覚まされますように。
あなたの恵みによって、わたしたちが、
福音の種をたゆまず育てる者へと
変えられますように。
この種によって、新しい天と新しい地への
確かな期待をもって、人類とすべてのものが
豊かに成長していきますように。
そのとき、悪の力は打ち払われ、
あなたの栄光が永遠に輝きわたります。
聖年の恵みによって、
希望の巡礼者であるわたしたちのうちに、
天の宝へのあこがれが呼び覚まされ、
あがない主の喜びと平和が、
全世界に行き渡りますように。
永遠にほめたたえられる神であるあなたに、
栄光と賛美が
世々とこしえにありますように。アーメン。
1月勉強会の予定
● 聖書を学ぶルカ福音書 ●
昼の部 1 月 22・29 日(水) 10:00
夜の部 1 月 16・30 日(木) 18:30
● キリスト教入門 ●
昼の部 1 月 21 日(火) 10:00
命 日
主よ、永遠の安息を彼らにお与えください
1日 | 10年目 | ヨゼフ | 飴村 芳美 |
2日 | 87年目 | 藤林 トイ | |
2日 | 43年目 | イグナチオ | 小田 国人 |
2日 | 5年目 | マリア | 藤林 ハツエ |
3日 | 34年目 | Sr.マリア | 漆原 多美恵 |
4日 | 39年目 | マリア | 後藤 恵子 |
4日 | 4年目 | マリア | 藤本 ヨシ子 |
4日 | 7年目 | ユリアナ | 岡村 晃子 |
11日 | 12年目 | マリア・ルイザ・ テレジア | 横山 理子 |
13日 | 6年目 | モラレス神父 | |
16日 | 13年目 | マリア・アグネス | 田中 京子 |
17日 | 13年目 | 藤村 栄治 | |
17日 | 74年目 | ヨゼフ | 荒瀬 高徳 |
20日 | 30年目 | アウグスチヌス | 道家 知弌 |
22日 | 50年目 | ペトロ | 毛利 元道 |
23日 | 31年目 | マリア | 三好 寿満子 |
26日 | 57年目 | 岡村 忠 | |
26日 | 52年目 | 竹中 伝 | |
26日 | 31年目 | アンナ | 山崎 恒子 |
31日 | 17年目 | カタリナ | 小川 初江 |