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復活節第三主日2023年

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み言葉の典礼

 エマオに向かって歩く二人の弟子にイエスが旅人の姿で現れ、一連の出来事の意味を説き明かすなじみ深い話しです。

 二人の弟子は、期待したイエスが十字架上で亡くなり、自分たちが抱いた夢が破れ、すべては終わったと思ってエルサレムを離れます。その彼らにイエスは寄り添い、聖書を用いて、自分の受けた苦しみと死の意味を説き明かします。そして、「メシアはこういう苦しみを受けて栄光に入るはずではなかったか」と諭します。彼らの心は燃えますが、まだ、完全には理解していなかったのかもしれません。

 夕暮れになって、イエスは誘われるまま、宿に入り、彼らと夕食を共にしたとき、「賛美の祈りを唱え、パンを裂いて渡し」ます。そのとき、彼らの目が開き、それがイエスだと悟ったとルカは記します。

 実は、これは、教会が今も、ミサの中で行っていることです。第一部で、割り当てられた聖書の箇所が朗読され、その説明を聞き、さらに、第二部で、人々の手に渡されたキリストの体となるパンをいただき、復活のイエスが今も、ともに居てくださることを、兄弟とともに体験するのです。

 主イエスは、信じる民がこの世の旅路を生きる糧として、聖体の秘跡(聖体祭儀)を残されました。しかし、日本の多くの教会では、今、新型コロナウィルス感染症の拡大で、2カ月以上、ミサを共に捧げることのできない状態が続いています。先日、広島教区の白浜司教は、これを5月24日まで続けると言われました。歴史の中で、また、個人の人生の中で、この大きな恵みに与れない状況が生じることはまれではありません。それは、確かに辛い経験です。しかし、同時に、すべての恵みが神から来ること、命も健康も、家族も友人も、仕事も休みも、安全も平和も、すべて、神の賜物であることを、しっかり弁え、感謝する貴重な機会ととらえることもできます。

 かつて、信仰の先輩たちが250年もの間、ミサも司祭も秘跡もない状態で信仰を守ったこと、さらに昔、砂漠をさまようイスラエルの民が、40年もの間、食べ物・飲み物も不足した状況の中で、エジプトから導き出された神への信仰を深め、辛い日々に耐えたことを思い出しましょう。 そして、一日も早くこの感染症が終息するよう祈るとともに、特に、この時期、感染症に苦しみ病床に伏す多くの方々、彼らの治療介護のため、身を粉にして働く医療従事者のため、また、この感染症の影響により、仕事を奪われ、収入が減少して苦しむ人々のために祈りましょう。彼らに神が慰めを与え、ふさわしい施策が施され、人々の理解・協力のもと、皆が安心して生活できる日が訪れますように。(S.T.)

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