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主の変容(2023年)

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 異常な暑さと、台風接近と言う不安の中で、今年も8月6日を迎えました。78年前の今日、世界ではじめて原爆が広島に投下され、約10万人を超える犠牲者が出たことを、心の痛みのうちに多くの方々と共に記念します。広島では、昨日から一連の平和行事が始まり、今日も間もなく、「原爆とすべての戦争犠牲者のためのミサ」が捧げられます。あらためて、一瞬にして自らの命を奪われた方々、愛する家族、住み慣れた家、財産、そうしたすべてを失われた多くの方々の犠牲を悼み、負傷者の治療・支援に尽くされた方々、その後、町の復興のために尽力された無数の方々のために感謝と敬意を捧げましょう。そして、この日、広島に思いを向ける時、かつて広島を訪れたヨハネ・パウロ2世が、「過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです」と言われたように、あの大きな犠牲が、将来のよりよい社会、平和な世界を作るための、強い動機になるよう、祈りましょう。

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主の変容の教会ー祭壇の裏側(エルサレム)

 今年の8月6日は、日曜日と重なり、全世界の教会が「主の変容」を祝う日と重なります。「主の変容」と言えば、主イエスの弟子たち、特に、ペトロ、ヤコブ、そして、ヨハネが、高い山に登るイエスのお供をし、そこで、彼らの目の前で、突然、イエスの姿が変えられ、全く別人のような、地上のものとも思えない光り輝くものとなり、驚き以上の衝撃を受けたという経験です。3人は、日々接していたイエスとは違う、まさに、神がそこにおられるとの実感を覚えたのです。福音書の記述は、そこに旧約時代の大人物、モーセとエリヤが姿を現し、イエスと語り合っていた、と記します。自分たちが生きている今、という時間を超越した、神の世界に突然導き入れられたことを感じたのでしょうか。ペトロは、あまりの感動から、何を言ってよいのか分からず、とっさに、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と。さらに、聖書の中では神の臨在を象徴する「光り輝く雲」が現れ、そこから「これはわたしの愛する子、わたしのこころに適う者。これに聞け」という声がした、と福音は記します。

 この一連の、特異な体験―共観福音書が一様に記し、第二朗読の『ペトロの手紙』でも言及されている「変容」物語は、わたしたちに何を語っているのでしょうか。「変容」という言葉を聞くと、姿・形が変わる、それまでとは似ても似つかぬものになるような印象を受けます。しかし、イエスの姿が変わったということは、そのような見かけの変化のことではありません。昆虫が幼虫からさなぎに、さなぎから成虫へと脱皮する、そのような成長の過程を表わすことでもありません。イエスの変容は、いずれ訪れる苦しみと死に対して、弟子たちの信仰を固めるためのものだと、よく説明されてきました。それも、確かにあるでしょう。

 しかし、イエスの変容には、もっと根本的な意味合いが含まれているように思われます。ただ、見慣れたイエスの姿が変わったということでなく、人となられた神の子が、神としての本来の姿を垣間見せてくださったということではないでしょうか。イエスの人間性の中に、神を見る、それこそが、わたしたちの信仰ですが、それを、見える形で表し、体験させる出来事だったのではないでしょうか。それは、いわば、十字架で亡くなられたイエスが復活して生きておられる、というわたしたちの信仰の核心を、あらかじめ、受難に先立って、示す出来事なのではないでしょうか。イエスが生きられた平凡な日常、そして、人々とのかかわりの中に、神か生きられ、神の愛が表わされていたこと、そして、やがて訪れる受難と死の中に、神の人間への限りない愛があらわれていることを示す出来事だったのではないでしょうか。それは、とりもなおさず、わたしたちが生きる平凡な日常性の中に、さらには、人間の現実から排除することのできない悲惨、みじめさ、罪深さ、そうした人間性のすべてを、否定しなければならない、唾棄すべきことではなく、人となられた神の子が自らのものとされた、尊い、神聖な十字架のしるしとして受け止めるべきことを教える、貴重なできごとなのではないでしょうか。

 主の変容は、弱さと限界に満ちた人間の世界に神が宿り、それを神の世界に変えるという、神ご自身の壮大な計画に思いを致す貴重な機会と言えます。今も矛盾と痛みに満ちた世界に生きるわたしたちが、主の栄光を仰ぐ日まで、神が望まれる平和の実現のため、神の国の発展のため、希望をもって生き、祈り、働くことができるよう、恵みを祈りましょう。(S.T.)

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主の変容の教会(タボル山・エルサレム)
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